あれこれ1999.7.18
元和元年(1615年)
5月6日、道明寺の戦い。同日夜、幸村、阿梅を伊達軍の先鋒片倉小十郎重綱に託す。
5月、 幸村六女・おかね、七女阿菖蒲、八女名前不詳、二男大八、西村孫之進及び我妻佐渡に守られて
片倉氏に保護される。
年表風に記せばこのようになる。
しかし、幼い子供たちを守り、鎧櫃を背負い、遠くみちのくまで落ちて来た
家臣達の苦労は並みではなかったはずだ。
そして、その後の400年の出来事をこれらの品々は見守ってきたのだ。
具 足
南蛮胴総革緘
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南蛮胴・・西洋の騎士
が着けていた鎧を思い
浮かべて欲しい。
胴のカーブの付け方な
どはそのものである。
また、実戦向きに徹底
的に軽くできている。
ごてごてした煌びやか
なものでは戦いは出来
ないのだ。
とはいってもこの前着
た鎧よりも数段重い。
これを着て、馬に乗っ
て刀を振り回すなんて
信じられない。
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この具足について古文書に次のような話が出ている。
冬の陣の後、幸村のところに東軍についていた友人が訪ねてきた。
暫く話しているうちに友人は床の間に飾ってあった金の鹿角の前立の黒い具足に気がついた。
「あの具足は・・・」と訊ねると。
「これは父昌幸より伝えられた大事な具足です。」
「次に私が死なねばならない戦の時にはこの具足をつけて臨みます。」
「もし戦場でこの具足を見かけたら私と思って下さい。」と語った。
次の夏の陣の時は、赤揃えになっており、この具足は着ける機会がなくなり大八へ伝えたのだろう。
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采 配
この房の部分は和紙で出来ている。
これを飲むと武勇が得られるといわれ、大分ちぎり取られたという。 |
旗
いわゆる六文銭の旗。当家では六道銭と呼んでいたらしい。他に六連銭といったりもする。
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背 負 旗
目録にはそうなっている。
私の感想では、大き過ぎ てとても背負えない。
絹地 |
縦六文銭の旗。
縦六文銭というと赤地に縦二列の旗を思い浮かべる人が多いに違いない。
例えばこのような

当家にもこんな物があればカッコいいのだが・・・
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隊 旗
と目録には記されている。
正に、縦六文銭ではないか!!
縦長 3mはある。
絹地
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五番組というのをご存知だろうか。家康の使番を勤める側近である。
その旗がある。首もとったらしい。もし、夏の陣の家康本陣でのものなら面白い。
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紺地五字の旗
目録にはこう記されている。
当家の代々はこの旗を踏みつけながら鎧と六文銭の旗を拝んだということだ。 |
仙台初代真田守信(大八)はとうとう真田姓に復帰できなかった。
そこで用いた旗印がこれ。
勝数の旗という。右の青い色は、仙台藩では勝色と呼んでいた。
横三本線が六文銭のつもりなのか・・・
守信 勝数の旗
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文 書 他
昌幸、幸村、守信像
昌幸、幸村像は模写である。仙台の絵師が描いたのだろう。九度山のものが元絵といわれる。
守信公の紋は結雁を用いている。
系 図・・・当然、清和天皇から出ています。
槍
近江の国 則広作 巻きの鮫皮が見事だ。
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知行所目録
守信へのもの。藩主が代わる毎にだされた。
文 箱
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六文銭の紋とちょっと見えないが剣菱紋が入っている。阿梅さんから頂いたものらしい。 |
お ま け
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ちなみに、仙台藩の前立は月である。
偉くなればなるほど月が細くなってくる。
政宗公の騎馬像を思い出して下さい。 |
つづきはまたの機会に・・・・・
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